15日(月)、帰省中の長女と孫娘を案内して、4人で朝の久松山へ登った。暑くならないうちにと6時に自宅を徒歩で出発し、十神林道経由で山の裏側から頂上へ。
山頂からの景色は少し霞んでいたが、気分は壮快。持参した携帯コンロで湯を沸かし、熱い珈琲で一服した後、下山。
一旦、帰宅後、新温泉町浜坂の渡辺水産のレストランへ車を走らせて、魚料理で昼食。七釜温泉で入浴後、帰宅した。
夜は、市民納涼花火大会へ次女と合流して女性軍がお出かけ。私は留守番です。
慌ただしいが充実したいい一日でした。
日々の生活を気ままにつづった日記帳。
15日(月)、帰省中の長女と孫娘を案内して、4人で朝の久松山へ登った。暑くならないうちにと6時に自宅を徒歩で出発し、十神林道経由で山の裏側から頂上へ。
山頂からの景色は少し霞んでいたが、気分は壮快。持参した携帯コンロで湯を沸かし、熱い珈琲で一服した後、下山。
一旦、帰宅後、新温泉町浜坂の渡辺水産のレストランへ車を走らせて、魚料理で昼食。七釜温泉で入浴後、帰宅した。
夜は、市民納涼花火大会へ次女と合流して女性軍がお出かけ。私は留守番です。
慌ただしいが充実したいい一日でした。
13日(土)夕方、帰省中の長女と孫娘とともに、しゃんしゃん祭の前夜祭を見てきました。
翌日の本番の一斉傘踊りは、混雑が予想されるので、一足早く前夜に出かけたものです。
まず、駅前の紅屋にはいり、懐かしい名物の印度氷(かき氷)をいただいて涼んだ後、傘踊りパレードを見物。各連の元気良い熱演を堪能しました。
これぞ鳥取のお盆です。
7日(日)午後、久しぶりに鳥取駅前に買い物に行った。大丸横のバードハット(アーケード)が賑やかなので覗いてみると、しゃんしゃん祭1週間前のプレイベント行事で、数チームによる傘踊りのエキシビジョンが行われていた。
傘踊りは、現役の折に参加していたひと昔前と異なり、衣装・歌・踊りとも、より華やかでバラエティに富み、種類も増えており、楽しそうである。
連日35度超えの猛暑の日が続くなか、今週末に向かって鳥取の街は、いっそうボルテージが上がって暑くなりそうである。
7月31日(日)、今年も二人で大山に登った。昨日、OB会登山で象山に登ったが、今日に備えて擬宝珠山の方は自粛しておいた。
昨年は、8月3日に登っている。大山に登ることができたということが、私たちにとって、現時点の体力を確認する一種のバロメーターのようになっている。特に今年は頭の手術を二回も受けたあとであり、意識したくはないが、75才を超えたということも、頭をかすめる。
若い頃と比べ、登頂に倍以上の時間を要するが、3本の水と弁当ほかの重い荷物を背負って登り、無事、帰着できたことは嬉しい。
さすが大山、正直なところ、結構きつい。でも、ゆっくりのペースをとっているので、翌日は身体がさほど痛くなかった。
これからは、一年一年が勝負なのかな~。
7月30日(土)、鳥取同友会(OB会)登山同好会例会で、奥大山鏡ケ成の象山・擬宝珠(ぎぼし)山への登山を実施した。参加者7名。
天候には恵まれたが、30度を超す猛暑日となった。
駐車した国民宿舎から、まず、象山へ登る。頂上からは大山・烏ケ山が望め、反対側には、次の目的の擬宝珠山が見える。擬宝珠山へは、一旦下山して再度登る感じである。
象山で早めの昼食休憩後、出発。擬宝珠山への中間地点である山を一番下ったあたりで、健脚組の3名と私たち下山組4名に分かれることにした。下山組は、12:50頃には国民宿舎に帰着し、健脚組を待った。
健脚組は、擬宝珠山へ挑戦し、13:30頃、無事にスタート地点に帰ってきた。少々きつかったようである。珈琲でミニ反省会の後、現地解散した。
私たち夫婦の車は、そのまま三ノ沢・桝水経由で大山寺に向かい、「大山館」に宿泊。明日の大山登山に備えた。
6日目午後、「レ・ボー・ド・プロヴァンス」から「ポン・デュ・ガール」へ向かった。
世界遺産「ポン・デュ・ガール」は、ガルドン川に架かる巨大なローマの水道橋である。
1世紀中ごろに建設されたらしいといわれるこの水道橋は、高さ50m、全長275m。ユゼスからニームに飲料水を送るための全長50kmの導水路の一部だそうである。ユゼスとニーム間の高度差は12m。したがって、1kmにわずか24cmという微妙な勾配がつけられているということでびっくり。
ローマ人の建築技術の凄さと美しいデザインの橋に感嘆した。
このあと、最後の宿泊地「リル・シュル・ラ・ソルグ」へ。
この町は、運河とアンティークの町として知られ、市街散策では、いくつかの水車のある風景も楽しんだ。
翌7日目は、アヴィニョンのハーツレンタカー営業所へ車を返却の後、TGVでパリ・ドゴール空港へ。空路で11時間後、羽田へ無事帰着。
* 写真の上でクリックすると、画像が拡大します。
5日目の宿泊地「ルシヨン」は、オークル(黄色顔料の原料)の丘の上に築かれた村である。通称「赤い村」。
日本のベンガラのように、この村の家々もオークルを使用して造られており、黄色から褐色・バラ色・紅色など、さまざまな色合いの赤で村全体が染まっており、とても素敵であった。
オークルは、化学染料にとって代わられ、残念ながら現在は採取はされておらず、採取場跡が公開されている。
6日目の午前は、70km先の「レ・ボー・ド・プロヴァンス」へ。アルピーユ山脈の白い岩山の上に築かれた「レ・ボーの城塞都市」廃墟跡の小さな村である。通称「白い村」。
難攻不落を誇った城塞といわれ、かっては4000を超えた人口も、現在は500人ほどの村であるという。
4日目の宿泊地「ゴルド」は、丘の頂の古城に向けて、傾斜地に石造りの家々が階段状に重なりあい、見事な景観をなしていることで有名。
村の中を歩いてみると、お店が連なる表通りと異なり、一歩、裏通りに入れば、細く曲がりくねった石畳の通りや階段など、昔ながらの趣ある景色に出合えて素晴らしかった。
5日目は、90km先の「ヴァランソル」へ向かった。今回の旅行目的のひとつである、ラベンダー見物のハイライトの地である。
「ヴァランソル」への往復途上の道中を含めて、視界全部にラベンダー畑の紫色一色の景色がひろがっており、圧巻であった。
旅の4日目からレンタカーによる移動。アヴィニョンTGV駅前のハーツレンタカー営業所へ。
ルノーの新車が用意されていた。細かい車の取り扱い説明は、特になかった。カーナビの言語は、イングリッシュ。
手探り状態で、初めての車種の操作方法を確認してスタート。右側通行に気を使いながら、ラウンドアバウト(ロータリー)をクリアしつつ、カーブが多く細い急な山道を登る。
ようやく 85km先の小さな村「ソー」へ到着。村の中心にある駐車場は、満車状態だったが、運よく空いたスペースへ滑り込めた。
「ソー」は、ラベンダー畑見物が目的であり、高台から紫色の景色を楽しんだ。
次の目的地「セナンク修道院」も、ラベンダーで有名。山奥の細い道なので、混雑する今の時期は一方通行とされている。ここも、うまく駐車できてラッキー。修道院から宿泊地「ゴルド」へは、迂回路を通行して、夕方、ホテルへ到着。
アヴィニョンからローヌ川を挟んだ対岸にあるヴィルヌーヴ・レザヴィニョン。
「サンタンドレ要塞」や「フィリップ美男王の塔」などの高い建物は、国境のローヌ川を監視する目的であったそうだ。アヴィニョンに法王庁があった時代に、裕福な枢機卿たちがこの町に豪華な邸宅を構えたと聞くと、街並みになんとなく気品ある風情が感じられるような気もする。
また、要塞の上からの開けた眺めは、印象に残った。