チェスキー・クルムロフの街なかで見つけた変わったデザインの器具・看板類の一部です。
[写真] 上段 : (左) 街角の消火栓
(右) 城内の片隅に見つけた?(消火器具庫?)
中・下段 : チェコで著名な文具店「コヒノール」(KOH-I-NOOR)の看板
日々の生活を気ままにつづった日記帳。
チェスキー・クルムロフの街なかで見つけた変わったデザインの器具・看板類の一部です。
[写真] 上段 : (左) 街角の消火栓
(右) 城内の片隅に見つけた?(消火器具庫?)
中・下段 : チェコで著名な文具店「コヒノール」(KOH-I-NOOR)の看板
チェスキー・クルムロフの2日間では、数軒のカフェでお茶休憩。そのうちの2軒です。なにせ、ヨーロッパでは、旅行者が利用できそうな公衆トイレを見つけにくいので、レストランかカフェで利用せざるを得ないのです。
「PIAZZA CAFE」は、パラチンキというクレープによく似たケーキが人気とのことで、おいしくいただきました。
「Cafe DVE VDOVY」は、店の入り口の上の手回しの動く人形の仕掛けが面白く、観光客の視線が集まっていました。川に面したテラス席もあり、カヌー遊びを見ながらのお茶も楽しいものでした。
[写真] 上段 : 「ピッツア カフェ」(PIAZZA CAFE)
中・下段 : 「ドゥヴェ・ヴドヴィ」(Cafe DVE VDOVY)
川に囲まれた旧市街(世界遺産)は、石畳の細い道が続く。古い家並みが美しく、観光客で賑やか。車の乗り入れは制限されている。
2泊後、プラハに向かうために、町外れのバスセンターまでの道を、タクシーを頼むには中途半端な距離なので歩くこととした。しかし、石畳の登りの坂道を、ガタゴトとスーツケースを引いて運ぶのは、とても大変だった。スーツケースの輪が壊れはしないかとハラハラものだった。
[写真] 上段 : 旧市街の家並み
中・下段 : 街なかの風景
フルボカー城の次に向かったのが南ボヘミア州最大の町、チェスケー・ブディェヨヴィツェだ。この町は、ビール醸造業で名高く、町の名を冠したブディェヨヴィツキー・ブドヴァル(またの名をブドヴァイザー・ブドヴァル)は、チェコじゅうで愛飲されているとのこと。アメリカのビールブランド「バドワイザー」の名は、このビールに由来。
町の外れにあるビール醸造所に昼食を兼ねて立ち寄り、付属レストランで黒ビールとのハーフブレンドを試した。旨かった。
[写真] 上・中段 : 町の中央広場
下段 : ビール醸造所建物
チェコ最初の宿泊地は、世界で最も美しい町と称される世界遺産の町、チェスキー・クルムロフ。部屋のテラスから、川を挟んだすぐ向かい側にチェスキー・クルムロフ城が見えるホテルに2泊した。特に朝焼けの中で変化していく城の景色は、見事だった。
城の塔に登って見下ろした街の景色、ガイド付き案内をしてもらった「城の劇場」の舞台下のからくり仕掛けなどは、印象深い。残念ながら、ここも内部はカメラ禁止。
[写真] 上段 : ホテルテラスからの城の景色
中段 : チェスキー・クルムロフ城 & 城の塔
下段 : 塔の上から見た第2の中庭
チェコ初日(7月11日)、観光の最初は、チェコで最も美しい城といわれるフルボカー城。プラハから160km程度離れた小さな町にあった。
13世紀頃、ボヘミア王家によって建てられ、その後26回も持主が変わり、最後の持主となったシュヴァルツェンベルク家によって19世紀に、イギリスのウィンザー城を模した今の姿に改装されたとのこと。
城の正門扉の取っ手は、カラスに頭をつつかれているトルコ兵がモチーフ。理由は、永年にわたってオスマントルコの侵略に悩まされ続けたためだそうだ。トルコ軍に勝利した時の記念のこのデザインは、シュヴァルツェンベルク家や貴族の紋章にも取り入れられているとのことである。
城は、外観はもとより、各部屋の内装・調度にいたるまで贅がつくされており、美しかったが、内部は撮影禁止で残念。
チェコ初日は、チェコ空港~フルボカー城~チェスケー・ブディェヨヴィツェ(昼食)~チェスキー・クルムロフ着(ホテル)の行程。延べ距離は、約200km。フルボカー城は、ぜひ見たいが、かなり田舎の不便な場所。レンタカーも考えたが安全をとって、私たちの考えた行程どおり案内してくれるという専用車(専属日本語ガイド付き)の1日ツアーとした。3人で専用車利用なので少し贅沢だが、ガイド(日本人の奥さん)・運転(チェコ人のご主人)のご夫妻に楽しく案内していただき、大変快適でした。ガイド付き貸切専用車は、スペイン旅行時の7日間利用に次いで2度目の体験。
なお、2泊後のプラハへの移動は、長距離路線バスにして節約。
[写真] 上段 : 専用車で移動中の車窓風景
中段 : 昼食(ビール醸造場付属のレストラン) & ガイドのご夫妻
下段 : 貸切専用車
羽田からの国際便が利用できるようになって、ヨーロッパ旅行の日程が組みやすくなった。深夜1時羽田発のフランクフルト便に乗ると、フランクフルトには、朝6時過ぎ(現地時間)に到着する。(時差が7時間あるので、実際にかかった時間は12時間。)
ここで乗り継いであと1~2時間飛べばヨーロッパのたいていの国に、はいれるので、到着初日も観光にしっかり使える。
しかしながら、連続12時間も飛び続けることができるエンジンをはじめとする機械・機体のタフさは、すごい。神業に思えてくる。
[写真](左) フンクフルト便の飛行ルート(機内テレビ)
(右) 夜明けの機外の景色(主翼の流線型が綺麗)
旅行出発当日の朝、スタートの鳥取空港でいきなりトラブル。
羽田からの国際便出発が可能になったことに伴い、鳥取~羽田~フランクフルト(ドイツ)~プラハ(チェコ)まで、スーツケースはスルーされ、最終地の空港で受け取れるはずであった。
ところが鳥取空港の全日空受付では、フランクフルトまでしかスルーできないので、フランクフルトで一旦受け取ってくれとのこと。おかしいと強く言って、全日空の社内の関係先に幾度も確認してもらったが、駄目とのこと。フランクフルト空港は非常に広く、荷物を受け取ってプラハ便への預け直しなど、とんでもない労力負担であるので、やむを得ず、羽田で一旦受け取ることに変更し、羽田であらためてプラハまでスルーの手続きをした。鳥取で1時間、羽田で1時間の時間をロスされてしまった。
その日の午後、全日空への娘の抗議申し入れにより、全日空側が誤りに気付き、夕方、別便で鳥取空港を後発した娘の荷物は、最終地までスルーされた。
後刻、全日空本社から、現地の担当の知識・教育不足で、ご迷惑をおかけしたとのお詫びメールが入っていたが、後の祭り。大迷惑だった。
[写真] 上段 : スーツケース & 羽田(深夜1時発便)
下段 : 15時間後着のプラハ空港 & 空港内の銀行(クーナへ両替)
7月10日から8日間、今年も家族3人がヨーロッパへの個人旅行で、チェコへ行って来ました。昨年秋から1年がかりで旅行本やネットで情報収集。正月明けからホテル・飛行機・長距離パス・貸し切り専用車などを順次、メール等で直接予約していき、レストランおよびカフェやコンサートなども、予約可能なものは出発前にほとんど押さえての旅立ち。いつもながら我が家の女性陣の計画策定は念入りですごい。
地下鉄の券売機の使い方までも学習し、写真入りでアウトプットした。レストランやカフェの食事のメニューの評価も、ネットですべて事前チェックできるので、ネット時代の便利さを実感している。
私は、横着を決め込み、出来上がった日程に沿ってグーグルアース・地図で、ホテル・レストラン・カフェや観光先等の地点を探し出し、PICASAやペイントソフトなどを使ってわかりやすいよう書き込みをした案内地図作成を主に担当。
これだけやっておいても、旅行先ではハプニングがいろいろ発生。でも、予定どおり17日夜、元気に無事、鳥取空港に帰着しました。
今回の写真撮影枚数は私が約2000枚、家内が約600枚、娘が約200枚でした。後の整理がた~いへん。
[写真] 上段 : 操りオウム(木製飾り) & クルテクの絵本
下段 : チェコの旅行本 & 作成地図事例